アメリカの人種を見て思ったこと
アメリカは世界中から人が集まってる多国籍な国。実際に住んでみると、確かにいろんな人種や文化が混ざり合ってる。ニュースでも取り上げら得ることがあるように、差別もあるし、実際にはあまり混ざってない。
今回は、自分の体験をもとに「アメリカにおける人種間の交わり」についてゆるっと書いてみようと思います。「人種のるつぼ」って表現ある意味そうだけど、混ざりっ気はかなり薄い。
この実際は混ざってるようで混ざってない人種についてもう少し掘ってみます。
人種の種類、多すぎて分類すら迷う
アメリカにはざっと見ただけでも、白人(ヨーロッパ系)、黒人(アフリカ系)、ラティーノ(中南米系)、東アジア系(日本・中国・韓国など)、東南アジア系(フィリピン・ベトナム・タイ)、さらにインド系、アラブ系、ユダヤ系、アルメニア系…と細分化がすごい。
しかも、白人の中でもイタリア系と北欧系でノリも気質も全然違ったりする。もう、“人種”というよりサブカルチャーのかたまりといった方がしっくりくるくらい。
「1世」は前向きで無防備
移民としてアメリカに来た移民1世の人たちは、まず言葉の壁がありますよね。だから、当然同じ言語を話す人同士で情報交換したり、助け合ったりして集まる傾向はあります。
それでも、海外からやってきたばかりの人たちは、基本的に前向き。苦労してやって来てるから、異文化と積極的に関わろうとするし、頑張って英語も話そうとする人も多い。
日本人ってそもそも人数が少ないからなのか、わりと他の人種とも交流してる印象があります。割と見るのが、日本人女性とアメリカ人男性のカップルで、言葉や文化の壁を乗り越えて結婚するケースもあります。
ただ「無防備」な面もあって、文化や言葉の壁があるから、状況を深く理解しない時も多かったりするし、軽い差別に気づかないこともある。アメリカ人が興味本位で距離を詰めてきているだけなのに「仲良くしてくれてる」と思ってしまったりする。
2世以降は同じ顔とつるみたがる
その一方で、アメリカ育ちの2世、つまり現地ネイティブは全然違う。
言葉もアメリカン、思考もアメリカン。でも、だからといって「人種の壁がなくなる」かというと、そうではなくて、逆に同じ人種同士でつるむ傾向が強くなる。仲良くするのは「見た目が自分に近い人」。アジア系ならアジア系、黒人なら黒人、ラティーノ同士で固まる。
自分が大学で見た光景がまさにそれ。キャンパスのカフェテリアを見ると、アジア系のグループ、ラティーノのグループ、黒人のグループ…って、自然に固まって座ってる。まるで“民族別ラウンジ”みたいで、見ててちょっとシュールでした。
特に高校・大学くらいになると、文化的な共通点(宗教・食生活・見た目など)もあって、同じルーツの人たちと一緒にいる方が安心するのかも。
恋愛や結婚に関しても、同じ人種を選ぶ人が圧倒的に多い印象。やっぱり“違和感が少ない”って安心感があるのかもしれませんね。
白人の見えない壁
で、やっぱりというか何というか、白人の中には根強い自分たちが上感がある。口には出さないけど、空気で伝わる。
日本人はまだマシな扱いを受けてる方だと思います。人数が少なくて「あまり目立たない」、ビジネスで「脅威じゃない」、礼儀正しくて「扱いやすい」、健康志向で「好印象」…そんな理由が透けて見えることもある。
でも正直、白人だけの輪の中に入りづらい空気感は確かにあって、本当の意味で入り込むのは、なかなか難しい。大人同士なら表面上うまくやれても、子どもになると遠慮がない分、あからさまな態度が出たりします。
例えば学校で、同じクラスの白人の子が「アジア人のごはんは臭い」って何気なく言ったりする。こういう体験があると、アジア系の子たちも自然と仲間意識が強くなっていくのかもと思う。
差別だけじゃない。選ぶ自由と壁の間
「人種関係なく仲良くすればいいのに」と思反面、実際に暮らしてみると、そう簡単じゃないことにも気づいてしまう。
人種って、ただの見た目や出身国じゃない。言葉、食文化、宗教、、過去の経験、家族観…いろんな価値観のセットなんですよね。だからなかなか「本当に混ざり合う」ってところまではいかないんですよね。
だからこそ、「気が合う人」として自然に似たルーツの人を選ぶのも、差別じゃなくて“人間の本能”なのかもしれない。
終わりに:人種は「壁」じゃなくて「現実」
今回はあくまで、自分の体験ベースの話で、住んでいる場所や環境によっても、感じ方は人それぞれだと思います。
アメリカで暮らしていて、人種が壁というより現実として存在してるなと感じる場面がたくさんあります。
アメリカに住む人たちの人種の交わりって、思ってるよりずっと複雑で、きれいごとだけじゃない。でも、目をそらさずに向き合って、自分なりにどう接するかを考えることが大事なんだろうなと思います。